パワハラをなくすためには、どうすればよいか?
最近、ラグビー、体操、銀行など至る所でパワハラ問題が騒がれている。
しかし、この程度のパワハラは今に始まったことではない。遥か昔からあった。
なぜ、パワハラが問題として認知されるようになったのか?
最大の理由はインターネット、特にSNSの普及だろう。
SNSの普及により、様々な暴力は可視化された。可視化された暴力は人々に衝撃を与え、日大アメフト部危険タックルのように、その事実を問題化させた。
私が子どもだった頃、20年くらい前だが、先生に殴られるのは当たり前だった。
私の小学校6年生のときの学級担任に暴力をふるう教師がいた。
あの当時はパワーハラスメントなんて言葉はなかったが、指導と称して、私の頭や頬を叩いたり、足で体を蹴ったりするのだ。
一方で、「思いやり」というワードをクラス標語にし、他人を大切にしましょうと、繰り返し日々のたまっていた。
そんな教師に子どもながらも強い違和感を感じ、敵意を示すため、教師を睨みかえしていた。
「確かに悪いことを僕はした。友達にあだ名を言ったり、宿題を忘れたりした自分はいけないかもしれない。だけどそれを正すために暴力もしていない私に暴力を振るうのはダメなんじゃないか?」
暴力教師にずっと疑念を抱いていた。
あれから20年、どうやら、その疑念は正しかったようだ。
人間は間違いを犯す生き物である。だが、誤りを正すための手段は言葉による対話であって、暴力による威圧ではない。
理性ある人間が頼るべきは言葉による対話であると信じたい。
真の「思いやり」を持って他者に接することが必要である。
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